論理より空気が世論を作る国

みのもんたが「みのもんたの朝ズバッ!」と「みのもんたのサタデーずばッと」を降板する。元日本テレビ社員の次男(31歳)の窃盗事件を受けての事だそうだ。(参照

みのもんたは大嫌いだし、彼の無知で偏向性の強い発言は報道番組の司会者としては不適切だと常々感じてきたが、それにしても今回の降板劇には違和感を感じざるを得ない。いくら息子とはいえ、一社会人として独立した人格を有する次男の不祥事の責任を彼が負う必要性がどこにあるのか。みの氏が共犯であるとか、あるいは息子が親の監督を受けなければならない状況であったのなら話は別だが、今回のケースにおいてはいかなる法律においても、みの氏に一切の責任は認めていない。

海外の友人から『おかしいね、日本は』と言われたと語っていたが、全くそのとおりだと思う。今回のケースに限らず、身内や関係者が起こした不祥事に対して連携して責任を取らせようとするマスコミの論調は一体何なんだろうと感じざるを得ない。
論理的に考えて見れば、みのもんたに何ら責任が無いことは本当は皆わかっているのではないだろうか?だが、なんとなくの世間的な空気がある種の圧力があるように感じる。これは怖いことだ。
論理よりなんとなくの感覚で皆が話をする。
みんなが言うからこうなんだろう。
何となくこう思う。
そんなことで人の人生を左右するような空気を創りだす社会。
かつて戦前の日独伊三国同盟締結の反省がこの国には無いのではないだろうか。
あの時から何も進歩していないのではないだろうか。

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