杉原千畝は第二次世界大戦開戦直後にリトアニアの領事代理だった人物だ。この人物の偉業はすでに有名だし、ネットで検索すれば山ほど出てくるので割愛するが、Wikipediaには下記のように記載されている。 「外務省からの訓命に反して、大量のビザ(通過査証)を発給し、およそ6,000人にのぼる避難民を救った」 (引用:Wikipedia) 彼の偉業を紹介する様々な文書にほぼ同じように書かれているが、最初の文節のニュアンスが若干異なっている。 「外務省に反抗して」 「日本政府の意向に反して」 「外務省の命令を無視して」等々 杉原氏の偉業に疑問の余地はないが、この一文がずっと気になっている。 彼の発行したビザが日本政府の意向に反していたのなら、なぜ日本政府は入国を拒否するなり、杉原氏を解雇するなりしなかったのだろうか? 外務省のウェブサイトにはこう書かれている。 外務省において保管されている文書により確認できる範囲では、昭和15年(1940年)当時、「ユダヤ人に対しては一般の外国人入国取締規則の範囲内において公正に処置する」こととされていましたが、杉原副領事は外務本省の「通過査証は、行き先国の入国許可手続を完了し、旅費及び本邦滞在費等の相当の携帯金を有する者に発給する」との指示にある要件を満たしていない者に対しても通過査証を発給したと承知しています。 (引用:外務省ウェブサイト) 要するに外務省の指示は「一般外国人と同様の基準でビザの発行を行え」ということであり、杉原氏はこの基準は無視したようである。しかし、わからないのはそうであるならば、日本政府はユダヤ難民の入国を拒否すればよかったのではないだろうか? (参考) 杉原千畝神話の虚実 - おいらのページ 杉原 千畝 - 大日本人伝説 杉原千畝 - Wikipedia 外務省: よくある質問集 欧州 奇跡のビザ