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4月, 2015の投稿を表示しています

ゴチャゴチャ言ってないでとっとと証拠を出せよ

「今ここで物言わなかったらどうする」 言論人が権力の介入に危機感 政権を批判したコメンテーターが番組を降ろされ、テレビ局が自民党から事情聴取を受ける。報道に対する権力の介入は露骨になってきた。 危機感を募らせた言論人やジャーナリストがきょう、都内で討論集会を開いた。出席したのは、2月、翼賛体制に抗議する声明に署名した約100人だ。 こいつ(古賀茂明)はなんでこういうところでいつまでもゴチャゴチャ言ってるんだ? 政府から圧力がかかった証拠があったんだろ? とっととそれを公表しろよ。 それで全て終わる話じゃないのか?

国賊NHK記者

NHKの 捏造疑惑 が世間を騒がせている。受信料収入という、景気や経済状況とはほぼ無関係のど安定な収入源を持っているこの放送局は、どこか世間とはズレた世界に存在してるように思えてならない。 BLOGOSに元NHK記者の記事が掲載されていた。 (前略)  ここ(ペリリュー島)の死者を悲劇の英雄として讃えてはいけないのだ。彼らは何のために死んだのか。死者に口があれば「天皇陛下を守るため」と答えたかもしれないが、それは生身の昭和天皇個人を超えた「皇国」そのものではなかったのか。「皇国」の一員である兵士に求められるのは、国のために喜んで死ぬことである、それが「本分」なのだから。そのように教えられていた。  そこには「人としての個人の尊厳」は一かけらも存在していない。最高学府で学んでいた学徒兵までが、「天皇に帰一したてまつる」という言葉を、天啓のように信じて特攻機に乗って行ったのだ。自分を殺し、敵を殺すことに喜びさえ感じながら行ったのだ。  その罪の深さを、今の天皇は知っておられると私は思っている。終戦時に小学生であっても、父親の罪は引き受けなければならない。「人間の尊厳」を踏みにじっていた。国家を人間の上に置いていた。その罪は消えない。 (引用元: BLOGOS ) ペリリュー島で玉砕した兵士達を讃えてはならないらしい。その理由は、「皇国」(つまり日本)の為に敵を殺し、自分を殺すことに喜びを感じたと、この著者が勝手に思うからなんだそうだ。しかもその責任は昭和天皇にあり、さらに今上陛下もその罪を背負っているという事になっているらしい。 勝手に兵士達の思いや今上陛下の考えを忖度して垂れ流すだけという記事のくだらなさもさることながら、まさに国賊的な発想はさすが元NHK。NHKは潰してしまえという思いを強くした記事だった。

せめて情弱らしく

打合せの予定で取引先を訪れたが、約束の時間までまだ20分ほど間がある。ということですぐ隣りのビルの喫茶店で時間を潰そうと席に着くなり、隣の席のおじさんが何やら電話越しにお怒りの様子。盗み聞きするつもりは無かったのだが、否応なく会話の内容が耳に入ってくる。 「だから、通信料金が安いっていう機種に変更したらメールが使えなくなったんだよ!!」 どうやら、DoCoMoかAuか不明だが、キャリアSIMを廃して格安SIMに変更したらしい。そしてこの人の中では「メール = キャリアメール」ということになっているようで、更に悪いことには自分がどこと契約しているのかも理解せず、もともと契約していた通信事業者に苦情を申し述べているようである。 テレビCMやインターネット上の様々な記事、さらには雑誌にも連日格安SIM(MVNO)が取り上げられ、「通信料金が安い」というキーワードで注目を集めている。不運にもコレを目にした隣席の情弱は、自分がなんの契約をしようとしているのかも理解せぬまま、そのキーワードに飛びついたというわけだ。 確かにMVNO会社のウェブサイトや雑誌の記事などを見ていると、「docomoの回線を使っているので高速…」とかそいういうキーワードが出てくる。それ故にまさかdocomoのサービスが使えなくなるという事がわかりにくいのかもしれない。或いはこの怒れる情弱の中では「メール = キャリアメール」そして「キャリアメール = ケータイに付属する機能」という事になっているようである。 MVNOキャリアは大手通信キャリアに比べると割安感があることは確かだが、ちょっと考えれば安いということは何かしらのデメリットが存在する事は用意に想像できることでもある。しかし、この情弱にとってはそういうことはお構いなしに、既に自ら進んで解約してしまった古巣のキャリアに怒りをぶちまけている愚か者ということだ。サポートセンターの人には同情をする。 こういうことは携帯電話キャリアだけではなく、例えばLCCにも似たようなクレームがあるらしい。どちらにも共通していることだが、従来の手厚いサポートや保証がない代わりにコストを抑えるというのが「格安○○」であるにもかかわらず、そこに従来と同じ品質やサービスやサポートを求めるというのはありえない。そして、その底辺にコミットしようとすればせっかくの「格安○

欺瞞に満ちた平和祈念公園

もう1年以上前の話だが、沖縄県本島南部の糸満市摩文仁にある県営平和祈念公園に行った。 実は中学生の頃に修学旅行で一度訪れているのだが、その当時の印象は特に残っていないが、心新たに展示を見てなんと酷い展示内容だろうと感じた。 この平和公園には主に、全国の都道府県の慰霊塔、沖縄県内犠牲者の慰霊塔、それに平和記念資料館が設置されている。 この資料館が酷い。太平洋戦争における沖縄県内の惨状を、写真やパネル、関係者の証言や公文書、そして戦果によって破壊された様々なものが展示してある。その中を歩みを進めていくと、沖縄戦を開設する映像資料が放映されているエリアがあった。その内容がひどかった。まずその視点が沖縄へ上陸する米軍側から描かれている。その映像の中では日本軍が得体のしれない戦闘集団でもあるかのごとくに描かれ、また住民は哀れな被害者、さながら米軍は正義に味方のごとくに描かれている。そして展示の中でも繰り返し暗示されているのが、「日本政府は沖縄を見捨てた」という史観だ。 そもそもなぜこの平和資料館に隣接して、全国都道府県の慰霊塔があるのか。映像作品の中で描かれる敵、すなわち日本軍は沖縄を守るために全国都道府県から派遣された沖縄守備隊なのだ。彼らの慰霊塔のすぐ脇では、彼らを敵として描いた展示が行われている事に怒りを通り越して呆れてしまった。 呆れた点はまだある。正義の味方のアメリカ軍の占領統治時代のコーナーは、はさながら「古きよきアメリカ」と言わんばかりのノスタルジックな展示である。しかしそれが順路に追って進んでいくといつの間にか日本人をいじめる悪者に変質していく。そしていつしか本土復帰に向けた沖縄県民VSアメリカ軍という構図になっていくのだ。 この節操の無さもさることながら、なぜ沖縄がこういう悲劇的な歴史となってしまったのかの根源的な展示は無く、現在の沖縄が中国の爪牙にかかろうと状況の説明もなく、ましてや未来に対してどのような平和への行動を行っていくのかのビジョンすらない。この展示から受ける印象は、悪い日本軍、悪いアメリカ軍、かわいそうな私達という構図だけだ。 当時の沖縄の人達が何を考え、どのように行動し、そして何を願っていたのか。戦火の中で誰より平和を祈念していた、その人達の本当の気持ちとこれからの世代がどうやって平和な沖縄を「守って」行くのかについて、もっと深

「わが軍」発言で我が「軍」じゃないなら、「文民統制」って言うな

首相「言葉尻とらえる議論意味ない」 「わが軍」発言で 安倍晋三首相は30日の衆院予算委員会で、20日の参院予算委員会で自衛隊を「わが軍」と発言したことについて、「共同訓練の相手である他国軍と対比するイメージで自衛隊を『わが軍』と述べたわけで、それ以上でもそれ以下でもない」と改めて説明した。その上で「自衛隊の位置づけに関するこれまでの政府見解を変更するものではないし、そのような意図はない」と述べた。民主党の後藤祐一氏の質問に答えた。 軍という言葉尻を捉えてずいぶんと騒いだなという印象だが、軍じゃないと言い張りながら「文民統制」とかいうのは矛盾してないだろうか。