日本共産党の得も言われぬ末恐ろしさ

社民党は自滅し、民主党は壊滅し、その他の野党は縦横連行しながらもいまだ烏合の衆。
そんな日本の野党の中で、ひときわ存在感を増しつつあるように思えるのが共産党である。

他の政党と異なり、1922年(合法化されたのは1945年)からずっと、共産党は他のいかなる政党とも合流したことがない。どれほど議席を減らそうが、自らの主張を拠り所に孤高を貫いてきたその政治姿勢に関しては、非常に素晴らしいものであると思っている。
また、この党は以外なことに日本の公党の中では唯一、領土問題に関してそれは千島列島を含む領土の主張を行っている。現実問題としてその主張が国際社会に受け入れられるかは別問題だが。さらにこの党は日米同盟についても片務性の高い現状から、より対等な同盟関係の構築を主張している(党綱領 二、現在の日本社会の特質)が、これも大筋では非常にまっとうな主張であろうと個人的には評価している。ここに全てを列挙はしないが、彼らの主張はアウトラインとしてはとても受け入れ難いものではなく、なるほどその通りだと頷けるものが多い。

しかし、どうしても彼らの根本的な論理の中には彼らを心から支持できない、根源的な大きく2つの疑義が内在しているように思えてならない。
その1つが、アウトラインでは合意できる事項に関して、具体案が何も提示されていない点だ。例えば先に上げた日米同盟に関しても、対等な関係を築くという事そのものには合意できるが、その為には米軍と対等-とまでは言えないまでも、双務的な自衛隊の拡充が表裏一体であるべきはずのところが、それについては一切の主張を行っていない。それでは民主党や社民党が主張するように、一切の防犯設備を排除した無防備な一戸建て住宅を建てるようなものである。仮に軍事力に頼らず、「憲法第九条の完全実施」を目指すとして、ではどうやって国家の安全保障を堅持していくのかについての具体的なプランは何も提示されていないのである。これは日米同盟以外の彼らの主張の多くに同様のレトリックが散見される。これが1つ目の疑義である。
そして2つ目が、彼らの目指す最終的な終着点を明示していない点である。例えば前項の「憲法第九条の完全実施」には「国民の合意での」という接頭語が付いている。(党綱領 二、現在の日本社会の特質)他にも例えば天皇制について「天皇の制度は憲法上の制度であり、その存廃は、将来、情勢が熟したときに、国民の総意によって解決されるべきものである。」と綱領に規定している。(党綱領 二、現在の日本社会の特質)つまり、当面は現状維持だが将来的には「国民の合意」で物事を変えていくよと主張しているのだ。そういう考え方自体は、民主国家である以上間違いではないのだが、そもそも政党というのはどうするのかの具体的プランを国民に提示し、国民が選挙によってその考え方の是非を表明するものである。であるならば、「私達はこうします」という最終プランを提示せず、「みなさんの意見次第です」とキレイ事を並べるのは、そもそもの党としての存在意義を放棄しているとしか言えないあまりに無責任な態度では無いだろうか。仮に政権を取った場合、ではどうやって「国民の合意」を形成するのか。自分たちが政権を取ったのだから合意は得ていると言って、勝手なことをやり始めるのではないか。まさにそれは、鳩山や管のような日本の憲政史上最低な民主党政権が行った暴挙が、再び繰り返されるということを意味しているのではないだろうか。

彼らの主張する内容がアウトラインで国民の合意が得られる様な内容であり、またその勢力を拡大しているがゆえに、これらの疑義が得も言われぬ末恐ろしさとともに忍び寄ってくるのを感じる。

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