投稿

7月, 2013の投稿を表示しています

終戦の季節にもう一度考えたいこと

そろそろ終戦記念特別番組の季節がやってくる。戦争の悲惨さと平和の尊さを描くドラマやドキュメンタリーが、テレビ各局で放送されることだろう。悲惨な過去の記憶を語り継ぐことはとても大切なことだ。 幼い頃、「火垂るの墓」のアニメーションを初めて見た日の夜のことは、いまでも忘れることが出来ない。もしこれが自分の身に起きたらと考えると、特に弟がいる身としては、自分だったらどうするだろうと考えると一晩眠れなかった。 また、「はだしのゲン」のアニメーションも衝撃だった。無条件に戦争はこんなにも残酷なものなのかと。絶対に戦争はしてはならないと、深く心に刻まれた。 戦争を知らない世代に、それをわずかばかりでも追体験させてくれるこれらの番組の放送は価値のあることだと思う。 しかし、もう一つ違う視点が必要なのではないかとずっと感じている。それは、誰が戦争へ国を導いたのか、どうすればこの戦争が回避できたのか。そういう視点で描かれた番組を見たことがない。(そういう番組が過去にあったのかもしれないが) 結論だけ書くが、よく言われるように軍部や大政翼賛会が国を戦争に導いたのではないのではなく、私は国民がそれを選択したのではないかと考えている。少なくとも、大政翼賛会の議員は国政選挙で選ばれている。日独伊三国同盟は国民世論の支持を受け、締結に賛成する大規模集会まで開かれている。新聞マスコミはどうか。国民世論を煽ったのではないか。 つまり、A級戦犯がいるとするならばそれは国民自身ではなかったのか。熱に浮かされ、マスコミに踊らされ、戦争に突入していったのはまさに国民自身の選択だったという事は無いだろうか? そういう面があるとするならば、我々日本人はまだ一度も過去を真摯に見つめなおし、正しい反省をしていないのではないかと思う。 つまり、未来に同じ過ちを繰り返さないためにあの戦争から学ぶ教訓は、戦争の悲惨さや平和の尊さだけでは不十分ではないだろうか。 火垂るの墓を見た夜に、自分が同じ立場になったらどう行動するだろうという事を何度も何度も想像した。 同じように、昭和16年に自分がいたらどう考えるか。どうやったら世論が違う方向に迎えたのか。国民全体がどうすればあの悲劇を回避できたのか。 それこそを、この終戦の季節に追体験しシミュレーションすべきなのではないかと思う。

覚悟

今週の日曜日は参議院選挙の投票日。脱原発を訴える候補者は沢山いるが、その代替となるエネルギー政策を打ち出している候補者はいない。脱原発を実現するにはどういう代替エネルギー開発が考えられるのか、ポイントだけメモしておきたい。知識の範囲内で書くのでソースについても特に明示しない。 太陽光や風力発電 脱原発論者が訴えるクリーンエネルギーの代表は、太陽光や風力だ。 しかし、これらの発電方式が恒常的な電力供給には使えない事はバカにでも判る。 水力発電 恒常的なクリーンエネルギーとして一番高効率なものは水力発電だ。 しかし、日本には開発可能な水資源はほぼ開発しつくされている。 地熱発電 水力発電に匹敵する高効率でクリーンなエネルギー原と言えば地熱発電が考えられる。 これらについては日本の開発可能な資源量(ポテンシャル)は原発20基分と言われている。 日本には54基の原発があるので、単純に考えて全て開発すれば1/3はまかなえることになる。 しかし、地熱発電の建設可能地のほとんどは国立公園や世界遺産の中にあるので、「自然環境」はある程度諦めざるを得ない 次世代エネルギー資源 メタンハイドレートに代表される、新たな海洋資源は日本海に無尽蔵に埋蔵されていると考えられている 採掘技術の確立ができれば脱原発も十分可能だと考えられる。 しかし、これらの資源は中国、韓国、北朝鮮、ロシアが虎視眈々と狙っている。 日本の海洋資源を本気で守っていくには何より軍事的なプレゼンスをが必要となる。 つまり、脱原発を本気で推進して行きたいならば、「自然保護」を諦め、「近隣諸国と対峙できる軍事力」を持つ覚悟が必要だということになる。 脱原発を声高に叫んでいる候補者や、政党(共産党や社民党、民主党)を見るに、とてもではないがそんな覚悟があるようには思えない。