死刑反対派の非論理的な反対意見と、死刑執行の本質について考えた

 谷垣禎一法相は12日、確定死刑囚2人の刑を執行したと発表した。執行は9月12日以来で、第2次安倍政権で4回目、計8人となった。法相が命令した。数カ月おきに定期執行する政府の姿勢が鮮明になった。
 執行されたのは、山梨県と新潟県で1986年に起きた連続殺人事件の藤島光雄死刑囚(55)=東京拘置所=と、大阪市で起きた中国人留学生ら2人殺害事件の加賀山領治死刑囚(63)=大阪拘置所。
 加賀山死刑囚は判決確定から約1年4カ月の執行となった。現在の確定死刑囚は129人。
 谷垣法相は執行後に記者会見し「身勝手な理由から尊い命を奪った残忍な事案。慎重に検討して執行した」と述べた。
(引用:msn産経ニュース

このニュースに接して、すぐに「人権派」とかいう連中が騒ぎ出すだろうなと思っていたら案の定。中には何故かこれを特定秘密保護法に結びつけて批判する論調まであり、もはや何を言わんとしているのかすら理解に苦しむ。
日本のド最底辺政党の社民党が、半ば恒例となった「死刑制度に強く講義する(談話)」を発表しているので、まずこの面白おかしい文章に反論しておきたい。

2.安倍政権下では今年2月、4月、9月に続き4度目、昨年末の政権発足から1年弱で8人という異例の大量執行は、政権交代前の慎重な議論を蔑ろにし、死刑制度の維持・正当化を狙う安倍政権の著しく偏った姿勢の表われであり、厳しい批判を免れない。谷垣禎一法相は本日の会見で「慎重な検討を加えた上で執行した」と述べたが、前回の執行からわずか3ヵ月、慎重な検討が加えられた形跡など全くない。一昨日に死刑囚と弁護人の再審請求の打ち合わせの場への拘置所職員の立ち会いを違法とする初めての判断を最高裁が行ったほか、昨日には日本弁護士連合会が死刑制度に関する政府の世論調査の質問の仕方が誘導的だとして、是正を求める意見書を法務省に提出するなど、死刑制度をめぐる議論が続く中での執行は言語道断である。

「前回の執行からわずか3ヵ月」と宣っているが、上記隠喩鬼もある通り加賀山死刑囚は確定から約1年4ヶ月、藤島死刑囚に至っては確定から約18年も経っている。なにも3ヶ月前から「慎重な検討」を開始したわけではない。さらに、「死刑囚と弁護人の再審請求の打ち合わせの場への拘置所職員の~」云々かんぬんは、刑の執行や死刑制度そのものとは何ら関係のない話しである。

3.1989年の国連総会で「死刑廃止を目指す、自由権規約第二選択議定書」(死刑廃止条約)が採択されたが、日本はこの条約を未だに批准していない。また昨年12月には国連総会で、4回目となる死刑の執行停止を求める決議が過去最多の111ヵ国が賛成して採択されている。さらに今年5月、国連拷問禁止委員会が日本政府に対し「死刑を廃止する可能性を検討すること」と踏み込んだ所見を発表している。死刑の廃止が国際社会の共通意思となりつつあるなかで、日本政府は度重なる指摘を無視し、一貫して世界の潮流に背を向け続けている。

国連という権威を持ってきて反論している気になっているが、そもそも談話の中で触れている通り日本はこれを「批准していない」のだから、それに従うべきとする法的根拠は何もない。さらに死刑制度の廃止が世界の潮流であるとしてもそれは法律の改正という立法に関する事案であり、現行の法制度に基づく刑の執行は行政の話しであり、論理のすり替えに他ならない。法治国家である以上、行政府は法の定めを果たす事は至極当然の話しである。

4.政府および法務大臣は、早急に国際人権基準に沿った法改正への道筋をつけるとともに、死刑制度に関して存廃や死刑に代わる措置など刑罰の在り方についてより開かれた国民的な議論を尽くし、その間は死刑の執行を停止すべきである。社民党は今後も、死刑制度の見直しに全力を挙げて取り組む。

「死刑制度の見直しに全力を上げ取り組む」のは勝手だが、それは政府や法務大臣に求めることではないく立法府が果たすべき役割ではないのか?さらに言えば、国民的な議論というが世論の8割が死刑に賛成している現状において、ではいつになったら議論を「尽くし」たことになるのか?もっと言えばオマエたちは死刑執行のたびにキャンキャン騒ぐだけで、それ以外の時に具体的に国民的な議論を促すために何かしたのか?
毎度毎度、同じような新鮮味のない談話を発表しているが、それが何かの役に立ってきただろうか?

このド底辺政党の主張以上に酷いのが朝日の記事に掲載されていた秋田一恵とかいう弁護士の論だ。

藤島死刑囚は子供のころに虐待を受けていたといい、秋田弁護士は「虐待が犯行に影響を与えていた。執行を聞き、ショックを受けている」と話した。
(引用:朝日新聞デジタル

「虐待を受けていた」ということは量刑判断における情状酌量の余地には成り得るが、それはあくまで司法権における話だ。
繰り返しになるが死刑執行は行政権の行使である。行政府が確定した量刑に対して勝手に情状酌量の判断をしていたら、それこそ司法権の独立を無視した憲法違反ではないか。それこそ弁護士にあるまじき論理であり、言語道断である。

ただ、一部ネット上で散見される死刑制度賛成派の意見にも1点だけ疑問を持つ論調がある。それは「被害者の気持ちを考えれば死刑執行は当然」というものだ。
死刑は復讐ではない。被害者が可愛そうだからという理由で今回の2人の死刑が確定したわけでも執行されたわけでもない。死刑囚というのは我々の社会においてどうしても再び隣人として迎え入れることができず、彼らの存在は私達の社会の秩序を維持するためには許すことができないから、彼らを私達の変わりに政府が殺すのである。

だから、直接的ではないにしても、彼らを殺したのは私達であるということはきちんと心に止めておく必要がある。
そして、私はそれを踏まえた上で死刑制度に賛成をする。

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