終戦の季節にもう一度考えたいこと

そろそろ終戦記念特別番組の季節がやってくる。戦争の悲惨さと平和の尊さを描くドラマやドキュメンタリーが、テレビ各局で放送されることだろう。悲惨な過去の記憶を語り継ぐことはとても大切なことだ。
幼い頃、「火垂るの墓」のアニメーションを初めて見た日の夜のことは、いまでも忘れることが出来ない。もしこれが自分の身に起きたらと考えると、特に弟がいる身としては、自分だったらどうするだろうと考えると一晩眠れなかった。
また、「はだしのゲン」のアニメーションも衝撃だった。無条件に戦争はこんなにも残酷なものなのかと。絶対に戦争はしてはならないと、深く心に刻まれた。
戦争を知らない世代に、それをわずかばかりでも追体験させてくれるこれらの番組の放送は価値のあることだと思う。
しかし、もう一つ違う視点が必要なのではないかとずっと感じている。それは、誰が戦争へ国を導いたのか、どうすればこの戦争が回避できたのか。そういう視点で描かれた番組を見たことがない。(そういう番組が過去にあったのかもしれないが)

結論だけ書くが、よく言われるように軍部や大政翼賛会が国を戦争に導いたのではないのではなく、私は国民がそれを選択したのではないかと考えている。少なくとも、大政翼賛会の議員は国政選挙で選ばれている。日独伊三国同盟は国民世論の支持を受け、締結に賛成する大規模集会まで開かれている。新聞マスコミはどうか。国民世論を煽ったのではないか。
つまり、A級戦犯がいるとするならばそれは国民自身ではなかったのか。熱に浮かされ、マスコミに踊らされ、戦争に突入していったのはまさに国民自身の選択だったという事は無いだろうか?
そういう面があるとするならば、我々日本人はまだ一度も過去を真摯に見つめなおし、正しい反省をしていないのではないかと思う。

つまり、未来に同じ過ちを繰り返さないためにあの戦争から学ぶ教訓は、戦争の悲惨さや平和の尊さだけでは不十分ではないだろうか。
火垂るの墓を見た夜に、自分が同じ立場になったらどう行動するだろうという事を何度も何度も想像した。 同じように、昭和16年に自分がいたらどう考えるか。どうやったら世論が違う方向に迎えたのか。国民全体がどうすればあの悲劇を回避できたのか。

それこそを、この終戦の季節に追体験しシミュレーションすべきなのではないかと思う。

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